金融政策の次の手はワナワナ
ヘッジおじさんがこの証券業界に足を踏み入れたのは1985年でした。この年が日本における国際金融への幕開けだった、と思うと何かの縁を感じます。この1985年はプラザ合意の年です。
先進5か国の財務大臣・中央銀行総裁がニューヨークにあるプラザホテルに集合しました。それまでの金融行政は、各国独自で行われていました。自国経済利益を守るための金融政策です。
一国の金融政策が世界経済に悪い影響を与えるとなれば、また暗黒の時代に逆戻りをしてしまいます。当時は米国が世界経済を牽引していました。また、新興国へのリスクマネーも供給しており、米国の双子の赤字が深刻な経済危機をもたらすと経済学者のグルーグマンが警告していました。
貿易不均衡は紛争の火種になるからです。双子の赤字とは、財政赤字と貿易赤字(経常赤字)です。当時の米国の貿易赤字の対象国は日本であり、欧州(特にドイツ)でした。欧州でも英国は米国と同じで双子の赤字でした。第2次世界大戦で国土への直接的な攻撃を受けていない国です。敗戦国は軍需工場などを破壊されましたが、破壊されなかった設備は戦後の新政府に引き継がれ国内経済の復興のためにしばらくして民間に払い戻されました。
日本は米国の管理下で、戦後復興を無事に終え、国際連合に加盟しました。帝国主義国家から民主主義平和国家に生まれ変わったのです。加盟は1956年80番目です。東西ドイツは1973年、イタリアは日本より1年早く1955年です。隣の韓国は1991年でした。日本の経済復興は奇跡の戦後復興と言われましたが、米ソ対立と冷戦による米国のアジア戦略の影響が多大でした。自力復興ではなかったとも言われています。1970年代まで為替の固定相場制で米国の援助を受けていました。
150円は因縁の数字?過去3回、4度目
1ドル=360円は1970年まで続きました。ニクソンショックで1971年に変動相場制になりましたが、日本は1973年に完全変動相場制に移行しました。その後はプラザ合意の年まで300円から190円まで、大幅に変動しました。
プラザ合意の前日の為替相場は1ドル=235円でした。発表の24時間後には約20円の円高となりました。その1日で大きな経済的な変化(ショック)が起きたわけではありません。公平な市場とは果たしてどういう市場なのでしょうか?その1年後1ドル=150円になりました。2022年、2023年と150円を3回付けましたが、この1ドル=150円がこの1945年から2023までの78年間の中心為替なのかもしれません。
そして重要なことは、円高局面でも日本は貿易黒字だったことです。今、貿易赤字国です。
現在、米国にとっての最大の貿易相手国は中国です。対中国で貿易赤字は拡大しています。米国は中国に対して先進技術の締め出しを始めました。おじさんは「半導体包囲網」と名付けました。中国への半導体供給先である韓国や台湾、そして日本を含めて包囲網を形成しようとしています。
なぜ、半導体なのか?お分かりの通りこれからの軍事戦略には欠かせないものだからです。兵隊の人数でもなく、核弾頭の数でもありません。宇宙戦略も含めた最先端テクノロジーが勝敗を分けるでしょう。核弾頭をいくら保有していても発射システムを無力化されてしまえばおしまいです。
プラザ合意以降、日本は、円高政策だったと思います。なぜ、円高だったのか?
日本の貿易黒字は2010年まで30年間継続しました。貿易黒字の解消が目的だったのであれば、2011年までの円高は当然だったのでしょう。今度は2015年まで貿易赤字は継続します。この間に、アベノミクスと言われる経済政策が出されました。
流動性の罠に、はまる
前出の経済学者グルーグマンは、日本は「流動性の罠」に、嵌っていると指摘しました。大規模な金融緩和を長期にわたり継続したにも拘らず、需要創造は喚起できず、インフレにはなりませんでした。財政出動せずに、消費税(導入時は3%)の導入、段階的な引上げで10%へ、人口が減少している中での少子化高齢化により長期のデフレ経済に突入しました。経済学者グルーグマンは金利が付かない市場で金融政策の経済効果はないと言いたかったのではないでしょうか?しかし、世界もゼロ金利時代に突入しました。
大規模な金融緩和を実施していながら何故「流動性の罠」に陥ったのか?そして、その解消のために大規模な量的緩和政策、マイナス金利政策とエスカレートしたにも拘わらず、「流動性の罠の罠」に陥ってしまいました。未曽有の量的緩和政策と呼ばれました。財政政策に成長戦略がなかったことが、日本がその後の罠に陥った元凶だったのでしょう。医療と介護等にお金を使い、国家経済戦略をどうすべきだったのか、貿易黒字をどう稼ぐのか?内需をどう活性化するのか?地方創生、少子化対策、経済成長等、いろいろ政策案は出ましたが、おじさんたちは信用されなかったのです。日本より遅く国際連合に加盟したドイツにもGDPでは抜かれてしまいました。
政策は間違ってはいません。財政出動は成長産業育成するために必要です。
1999年株式手数料の自由化が始まり、本年9月にネット系証券会社がついに売買手数料をゼロにしました。「貯蓄から投資へ」はその頃から取り組んでいます。国にお金がないのであれば、持っている人にお願いするしかないのです。しかし、日銀が毎年公表する家計循環では、未だに50%以上が預貯金に滞留しています。つまり、これが国民の答えだったのでしょう。
次の目標は175円?日本経済の復活の道は
おじさんたちは「失われた25年」を作り出してしまった当事者です。日本のバブル崩壊がこれほどの停滞を引き起こした原因だったのか、もともと投資には向かない民族だったのか、日本がもう一度「黄金の国ジパング」を呼ばれることがあるでしょうか?世界から美しい国と言われることがあるでしょうか?
そして、その解決策が成長戦略です。どんなに量的緩和をしても総需要は増えませんでした。日本で製造して海外に売れば貿易黒字はまた増加します。このまま放置していたら、我が国が双子の赤字になっていきます。プラザ合意からは日本が貿易赤字になるまでドル安政策を協調して実行した結果、米国経済は復活しましたが、まだ、米国も貿易赤字国です。しかし、今の最大の貿易黒字国は中国です。日本は対米、対中に対して当面円安でいいのではないですか。強調して実行しなくても円安政策を継続すべきです。プラザ合意前は235円までは欧米は、文句は言えないと思います。
当面は150円を上限にしばらくは動くと思いますが、「貯蓄から投資へ」が進まなければ、企業の内部留保が成長市場に使われなければ、徐々にプラザ合意前の水準に戻るのではないか、その年は2030年ではないかとおじさんは想定しています。まずは流動性の罠の罠で積み上がっている家計と企業のお金が動き出すこと、そして成長戦略に投資されること、です。まずは、19年上がらなかった賃金を継続して上げること、人への投資からです。
そして、貿易不均衡が再燃しそうになったら、潤沢な海外資産を活用しましょう。
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