ヘッジおじさんのつぶやき提言

ブログを読まれる前に

このブログはファイナンシャルアドバイザーの立場から投資家の皆様のためにつぶやくことが原則として始めました。もう半年以上が経ちました。皆様のお役に立てているか。振り返ることがあります。是非、ご感想を頂ければ幸いです。暑すぎた夏も終わり、天高く馬肥ゆる秋。自分の大切なお金の運用をもう一度考えて見ましょう。おいしいコーヒーを横において見て頂ければ幸いです。

信頼とは何か?顧客本位の営業姿勢で必要なこと---Part  1
 

日本株式の最高値に思うこと

1989年12月29日日経平均が最高値を付けました。ザラ場高値3万8957円44銭。

日本株式市場ではこの最高値を更新できるかどうかが、話題になっています。本年1月19日の終値が3万5963円27銭。あと2994円17銭上昇すれば最高値を更新します。可能性は高くなりました。最近ボラティリティはかなり上昇しており、1日で5~600円変動する相場ですから1ヶ月以内でも高値更新は不可能ではありません。40年近い証券人生で最高値更新を経験できることには感慨があります。

バブル期と何が違うのですか?

バブル期はまず平均でPER(株価収益率)は約60倍でした。今は、14~5倍です。PBR(1株当たり純資産額)は、バブル期は5倍を超えていました。今は、1.2倍ほどでしょう。配当利回りはバブル期0.38%程度、今は2%。安全資産と言われる10年国債は5%以上で、今は0.5%程度(日経新聞1月16日参照)今当てはめると日本株式は異常値でした。

しかし、当時の見方は違います。日本の成長力は高く、日経平均株価採用銘柄は全てグロース株だったと見ることもできます。(現在のグロース市場の平均PERは約55倍)し、会社の規模は小さく、保有土地などは簿価で坪単価10円でした。時価は5~6倍と見た人もいるでしょう。新人類にとっては確かに正当な株価の連続だったのです。日本は黄金時代だったのです。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ヴァーゲル著)だったのです。

当時の営業姿勢、情報とはなにか?

各国企業の国際比較が可能になったのは、1990年のノーベル経済学賞は受賞したマーコウィッツ博士の功績が大きいでしょう。お恥ずかしい話ですが、当時の株式営業は、「○×銘柄に△仕手筋が入って、近日中に上昇するとの情報が入りました。まだ、動意付いていませんから●万株買いを入れましょう。」というような根拠のないものでした。まことしやかに、情報と言っていたのです。

金融ビックバンで明らかに変わったと思えたのは、このセールスの仕方です。株式営業に数字を使うようになりました。マーケット情報や企業情報はすべて数字です。科学的に産業規模を予想し、その会社の将来企業価値を推定するようになりました。公知情報による理論株価も算出されるようになりました。

しかし、当時の営業姿勢は、いびつな顧客利益を継続していました。会社の手数料が30万円でお客様の利益が1万円であったとしても証券マンとしてのプライドはあったものです。投資額3000万円、投機機関1日、利益1万円、年利でみれば10%以上。顧客利益に貢献しているのですから。それは本当の投資ではありません。タイミングを見計らって売買する投機です、デイトレードです。(2024年1月12日ブログ参照)。

当時からお客様の信頼は「損を出さない」ということでした。

株式手数料自由化の脅威

金融ビックバンは、手数料の自由化が主力戦略でした。米国でも株式市場の国際化の観点から株式手数料は自由化されました。金融の国際化が外圧でした。

株式手数料の自由化は1998年4月の5000万円以上の大口から始まり、1999年10月に完全自由化になりました。そして、昨年2023年9月にネット系証券会社で遂に手数料ゼロになりました。手数料自由化に向けての歳月が25年もかかったのです。この25年は「失われた25年」とぴったりと被ります。


別のブログでも書きましたが、デフレ経済と金融は全く同じような道を辿ることにことになります。

投資信託は証券会社にとっては打ち出の小槌

1951年に証券投資信託法が日本に誕生しました。「財閥解体で大量に放出された株式の需給調整や戦後の資金不足時代の産業資金の調達等の意図のもと政策的に導入された商品」でした。政策ならば、個人資金で産業復興を支える仕組みの投資教育が必要だったと思います。

個人投資家にその意図は伝わっていません。1965年からの家計の金融資産構成では、投資信託は約3.3%でした。預貯金は約57%、株式は比較的高く約16%でした。貯蓄でもなく投資でもないあいまいな金融商品だったと思います。金融ビックバンの最中の1995年の調査でも2.8%です。シャアを落としています。

金融ビッグバンの脅威は外資系の参入にあり、投資家は無知の状態で市場を抑えれてします。国内金融機関は業務純益をあげろ、手数料を稼げと営業マンの尻を叩かれていたのです。全く投資家の信頼は得られませんでした。一部の金融取引業者では、米国を真似る動きもありましたが、営業スタイルは金融ビックバンでは全く変わりませんでした。

株式手数料が自由化されると、家計の金融資産構成2.8%の投資信託が商品戦略上で台頭してきます。大手証券会社では自由化の流れの中で収益の柱を投資信託販売に注力します。

1兆円ファンド、信頼は規模か?

2000年に日本最大の投資信託「ノムラ日本株戦略ファンド」誕生します。運用開始前には7900億円の資金を集め、日本もファンド時代の幕開けと証券界は大きな期待をしました。新たなビジネスが始まるはずだった。

同年5月には1兆円を超え、日本初の1兆ファンドとなりました。日本のマゼランファンドの誕生を当時の野村證券の経営陣は夢を見たでしょう。米国ではピーター・リンチが運用開始した「マゼランファンド」という投資信託は米国の投資家の信頼を集めました。ファンドを閉じるまでの年平均リターンは20%を超えました。

しかし、10年後には残高は1000億円を割っています。保有株価が10分の1になったわけではありません。運用成績の悪化が最大の原因ではありますが、当時のブルームバーグの記事を見ると「株式投資信託の残高は10年間で30%減」ということで、10分の1の残高減少は異常値です。

期待が高かった半面、失われた信頼は大きかったのではないか、と思います。

信頼は、規模の次は毎月分配?

次に国際投信が開発したグローバル・ソブリン・オープンは1997年12月から運用開始されました。毎月分配型というコンセプトで、一時は6兆円に迫る勢いでした。しかし、運用の基本である複利運用と相容れない毎月分配型ファンドは運用商品とは本来の運用とは言えないと考えています。その理由は投資元本が減っていくということは、いずれ元本は無くなってしまうからです。投資元本が減ってしまっては運用の意味はないのです。本来の毎月分配型はリターンのみです。マイナスリターンでは、元本になるまで分配を待つか、元本になるように資金を補填するしかないのです。毎月分配は毎月一定額以上のリターンを上げてこそ成り立つ運用商品です。超過リターンも複利運用しなければならないのです。

年金のようには定額もらえる運用は年金運用です。通称「グロソブ」は運用のプロは無分配型又は分配再投資型を勧め、資金必要時に部分解約を推奨すべきでした。毎月分配というのは必要以上のコストがかかります。

どの投資信託も運用コストが掛かるので、手数料を頂くことの整合性がありました。6兆円も販売したのであれば相当の手数料を稼げたファンドです。しかし、競争が激しくなりました。どこでも購入できる。タコ配をするようになったのであれば、ファンドマネージャーの力量はどうだったでしょう。

 

信頼はセールスしないこと

2つの金融商品の取り組みで評価できるのは、投資信託はその構成比を倍近くにしました。株式売買手数料の自由化は6.8%まで落ち込ませた構成比を二桁まで戻しました。

証券各社は収益構造が悪化する中、投資信託は証券会社にとって「打ち出の小槌」だったのです。自由の組成でき、手数料も自由。株式は保有しているだけでは収益を生みませんが、投資信託はわずかですが、収益を生みます。しかし、営業姿勢は売買から抜け出せず、構成比は残念ながら4%台です。

この「打ち出の小槌」はネット証券に最重要金融商品となります。営業姿勢の必要性が低いのです。そして、営業マンが要らないから人件費がかからない。無人販売可能商品です。無人販売は販売者に責任はない?投資信託には販売責任はないのでしょうか?無人販売だから営業姿勢は本当に必要ないのでしょうか?

 (次回に続く)

参考文献 
日本証券経済研究所【編】証券経済研究 第8号 内田ふじ子「投資信託改革の歴史とその成果」

ブルームバーグ 2010年7月23日 浅井真樹子